介護士歴7年半。
自分でもこんなに長く続ける仕事になるとは思わなかった。
巡り巡って今に至るんだから面白い
介護士を目指そうと思ったきっかけになったのは、大きく
- 高校3年
- 大学4年
高校3年の話
高校3年当時の僕は、まともに進路を考えておらず、そもそも大学に行くかどうかも、ぎりぎりまで決めかねていた。
妄想が好きだったから、脚本家になりたいだったり、ドラマに影響されては、俳優になる!と思ったりしていた。
脚本家に関しては、「経験もないのに、無理無理」と一蹴されたり、実際に、小説を考えて友達にみてもらったが、最後まで書ききれず断念した。
高校生だった僕は、向上心など一切なく、無理だと思ったらすぐあきらめる癖がついていた。
中学の時点で、「河南高校」に受かるということだけが、目標となり、そのあとのことを何も考えてなかったことを反省したい。
ただただ、近い高校だったというだけだった。
電車で通いたくない。ぎりぎりまで寝ていたい。徒歩3分以内にあったので、チャイムが鳴ってからでも間に合うそんな考えしかなかった。
高校生活では、さぼり癖が身についたと思う。
勉強に関しては、いい点数を取ることより、低い点数を取って、笑いに変える。
それが癖になっていて、気づけば、赤点だらけ。
今思うと、何がおもろいんてて話だけど。
3者面談で進路を決める「そんな選択もありなんだ」
3者面談があり、いよいよ進路どうするという話になった時に、小説家や脚本家の話をして、やはり教師や家族からは、「経験もないのに、まだそんな道は早くないか」と否定され。
今から勉強しても行けるところは限られている。
色々と選択肢を与えてくれたけど、正直内容は覚えていない。
ふと介護の話になった。
不思議だけど、頭の中で、きらりと光るものがあり、
おばあちゃんっこだったので、介護に対して元々抵抗はなかった。
当時、入退院を繰り返していた祖父母と隣同士に住んでいたので、
いずれは、お世話してあげたいという気持ちがあったので、なるほどそういう道もありだなと思った。
関西福祉大学か、大阪大谷大学の2択でしたが、先述したように、電車通学が苦手だったので、大阪大谷大学に結局1択なのであった。
この選択が、後々のekuboに役立つことになるなんて。
大学の話
大学に入って、友達から、ボランティアに誘われた。
このボランティアをきっかけに、4回生の春ごろからバイトでお世話になることに。
初任者研修もここで取りました。
ホームヘルパー・ガイドヘルパー・放課後等デイサービス、1年とは思えないぐらい濃密な経験をさせてもらった。
初めての利用者と何回かの介助を経て一緒に旅行へ
その中に、一人の認知症のご利用者がいた。
僕の初めてのご利用者。
作業所に通っている方で、その作業所で慰安旅行するので、キタドコロさんなら安心してお任せできると思いヘルパーで付き添いをお願いしますということだったので、喜んで引き受けた。
普段は、自宅から作業所までの往復の送迎するヘルパーだったので、長時間一緒にいる時間はなかったので、いろいろと新鮮な気持ちで、当日を迎える。
とても紳士的な男性で、おしゃれな人だった。
このご利用者のことが大好きだった。
「旅行を通して、思い出を作ってほしい。」
最初は、慣れない環境にパニックになって、
利用者さんが「たばこがない」とか、「お金がない」と
ソワソワすることがあって、僕自身もパニックになることはありましたけど。
大好きなカラオケや、温泉、おいしいご飯にたばこのことを気にしたり、することが少なくなっていきました。
お土産屋さんでは、「アイツ(奥様)に買って帰ったら喜ぶだろうな」と
お土産を見て回り、一つずつ、これは僕もあいつも好きなんだよ。これ食べたことないけど食べるかな。と口にしている姿はやさしさに満ち溢れていました。
とても仲良しな夫婦にほっこりしました。
旅行の旅から帰ってきて、自宅に戻る。
どうでした?楽しかったですか?
と尋ねると、「あぁ」とつぶやく。
奥様と一緒に、荷物の確認をしていると、ジャケットのポケットに一枚のメモが入っていた。
「りょこう楽しい。連れてきてくれてありがとう」
なんどか文字を消した跡がありました。書きなぐったような
いつ書いたのか分からないけど、そこには、感謝の言葉が書かれていました。
「貴重な経験をありがとう。またよろしくね」
奥様に言われて、思わず、涙目になってしまいました。
認知症の方でも、思い出に残るような経験や体験をしてほしい。
そう思った瞬間でした。
それが、介護士を目指すきっかけでした
ご覧いただきありがとうございます
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